ラマル・ギービン・ラタナヤケの国籍や両親は?出身中学などプロフィールや球歴について!

 

野球で一流選手となり両親への親孝行をしたいと希望に夢を膨らませる「ラマル・ギービン・ラタナヤケ」選手。

1人の野球人として、ひたすらバットを振り抜き、そのパワーは桁はずれといえます。

小学校4年生から野球を開始し、初打席では、外野まで打球を飛ばす大物ぶりを見せつけました。

今回は、パワフルで鋭いスイングが魅力である、

  • ラマル・ギービン・ラタナヤケの国籍やプロフィールは?
  • ラマル・ギービン・ラタナヤケの出身中学や所属チームは?
  • ラマル・ギービン・ラタナヤケの球歴は?
  • ラマル・ギービン・ラタナヤケの両親や兄弟は?

について紹介していきます。

 

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ラマル・ギービン・ラタナヤケの国籍やプロフィールは?

まずは、ラマル選手の プロフィールを紹介します。

 

  • 名前:ラマル・ギービン・ラタナヤケ
  • 生年月日:2006年4月8日(おひつじ座)
  • 出身:愛知県名古屋市生まれ(両親はスリランカ人)
  • 身長:180cm
  • 体重:82kg
  • 投打:右投/右打
  • ポジション:内野手
  • 好きな食べ物:お寿司(サーモン)

ラマル選手の国籍ですが、公表こそされていませんが、両親がともにスリランカ国籍であるため、ラマル選手もスリランカ国籍を取得していると推測できます。

日本で生まれた場合でも、必ずしも日本国籍を取得できるわけではないそうです。

日本国籍を取得するには、父母のいずれかが日本国籍を持っていることが条件となります。

つまり、父親か母親のどちらかが日本国籍を持っていれば、子供も日本国籍を取得することができるのです。

ちなみに、ラマル選手の「ラマル」という名前は、スリランカの公用語であるシンハラ語で『太陽のように輝く男の子』という願いが込められているそうです。

また、セカンドネームの「ギービン」の意味は、『音楽を聴いて踊ったりして楽しむ男の子』という意味があるんだとか。

 

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ラマル・ギービン・ラタナヤケの出身中学や所属チームは?

ラマル選手の出身中学や所属チームについて調べてみました。

ラマル選手は、名古屋市立南陽中学校の出身で、中学時代は「愛知港ボーイズ」に所属していました。

彼の持ち味は破格の飛距離です。

中学時代になんと通算で50本塁打を打っています。

当時から打球をより遠くに飛ばせる技術は、周囲を驚かせていました。

また、ラマル選手は中学生の時から非常に能力の高い投手としての実力を発揮していたようです。

彼は単に速球だけでなく、スライダーなどの変化球も投げることができる、まさに逸材と呼べる投手だったと言えます。

中学生の時点で既に130km/hを超える速球を投げられるというのは、非常に高い身体能力を示しています。

さらに、変化球の投球も可能であったことから、ラマル選手には投手としての優れたポテンシャルが備わっていたと評価できるでしょう。

このように、ラマル選手は中学生の頃から、将来有望な投手としての素質を十分に発揮していた選手だったと言えます。

 

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ラマル・ギービン・ラタナヤケの球歴は?

ここでは、ラマル選手の球歴を見ていきたいと思います。

大阪桐蔭高校に入学したラマル選手は、全国屈指のエリート野球集団の中で競争に勝ち、1年生の秋にはベンチ入りとなります。

1年生時に15試合に出場し、大阪府の大会で本塁打を放っています。

そして、2年生になった時に、大阪桐蔭高校は2023年度開催の「選抜高等学校野球大会」に出場。

しかし、ラマル選手は本格的な出場とはならず、代打のみで起用されただけであったため、甲子園での結果は残せませんでした。

また、2年生の時に開催された、夏の甲子園大会の予選では、期待された本塁打を放つ事が出来ず、6打席立ったものの無安打となり、満足できる成果は残せませんでした。

そして、最終学年の3年生時に大阪桐蔭高校は「選抜高等学校野球大会」に選ばれます。

この野球大会では3試合に出場しますが、11打数の2安打で、注目された本塁打については“無し”という結果に留まっています。

全国大会まで進んでくる投手は、誰しも140kmを超えるスピードボールと変化球を有しています。

確かに、失投を逃さず本塁打を放つ能力は、卓越した技術がありますが、力のあるストレートと鋭い変化球のコンビネーションで投げてくる一流投手にあたると、対応できないケースが時折見られます。

しかし、高校生離れしたパワーは誰しも認める所です。

このため今後は、ハイレベルな投手の投げる速球や変化球に対してどのように対処し、力のある打球を飛ばすかがさらなるスラッガーへと進化できるかどうかのポイントではないでしょうか。

 

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ラマル・ギービン・ラタナヤケの両親や兄弟は?

ラマル選手の両親や兄弟についても調べてみました。

ラマル選手のご両親はスリランカ人です。

父親である、バンダーラ・ラタナヤケさんは、学生時代にバレーボールでスリランカ代表に選ばれるほどの選手でした。

バンダーラさんは、留学生として日本にやってきた経歴があります。

日本語を学んだ後、大学そして大学院まで学んだ向上心の強い学生でした。

日本への留学時代は、新聞販売店などでアルバイトを行っていたようです。

勤務先の評価は、真面目な留学生として好評価だったそうですよ。

その後、バンダーラさんは一時的にスリランカに帰国し結婚、そして再度日本に来日し、名古屋で就職しています。

また、母親や兄弟について調べてみたところ、母親の名前は「フラバ・カンチャナ」さんと分かりました。

兄弟については、妹と弟がいるそうで、3人きょうだいだそうですよ。

きょうだいも野球をやっているのかどうかの情報はありませんでした。

ちなみに、将来の夢は、『プロ野球で成功し、両親に恩返しすること』だそうで、ぜひその夢を叶えて頂きたいですね!

 

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まとめ

今回は、大阪桐蔭高校のラマル・ギービン・ラタナヤケ選手についてご紹介しました。

ラマル選手は名古屋市出身の内野手で、小学4年生から野球を始めました。

中学では愛知港ボーイズに所属し、50本塁打を記録。

大阪桐蔭高校に進学し、1年生でベンチ入り。選抜高等学校野球大会や夏の甲子園で活躍しましたが、本塁打は少なく、今後の課題とされています。

両親はスリランカ人で、父親は元バレーボール代表選手でしたが、母親や兄弟の情報は不明です。

ラマル選手の今後の成長が期待されます。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

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